詩集「群れない猫」近日発行!

群れない猫

土屋容子の暮らしと詞花

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腫れ物の膿が一気に出たような如月

2/24の夜、左足の小指を思い切りオットマンの脚にぶつけて悲鳴を上げた。痛みは、数時間続き、赤紫色に腫れて足の甲までアザができていた。こんなにひどいぶつけ方をしたのは初めてだ。1日何回か冷シップを貼りかえ固定して、安静につとめた。腫れがひいてきたので、2/27買い物へ。いつもように、両手にスーパーの袋とエコバックを持ち、最寄りのバス停で降りようと、1段高い席から降りた時、両膝をついて転んだ。二人のご婦人が、「大丈夫ですか?」と、手をかして下さった。1分くらい放心したがなんとか荷物を拾い、立ち上がり、下車した。そこで、しばらくうずくまっていた。そして、数分後帰宅して、泣いた。情けなかった。帰ったら、打った膝以外の首や腿や腰などの筋肉が痛くなってきた。

 

 1月の大雪のあたりから、メンタルが乱れ、週末は家から出ていることが多くなった。主治医に話すと、私のウツ自体はほとんどよくなっていると言う。数年前から、薄々気づいてはいたが、私のメンタルが乱れる原因は、思っていたのとは違うところにあり、ウツがよくなっても解決する問題ではないことがわかってきた。10年ほど前ウツが酷く、家から逃げていた時期はメンタル系の本を読むこともできなかったが、ここ数年で読めるようになってきた事が、気づきにつながった。

私だけの問題ではなかった、と、わかっても。今まで努力してきた事は、ほとんどが真逆で、ゼロから仕切り直さなければならない事が、受け入れられないでいる。

 

関連性のある本を、何冊か読んでいる。今までの自分の辛い年月がまるで、そのまま書かれているので、追体験しているようで涙が流れる。合間に、ギリアン・フリンの「冥闇(めいあん)」を読んだ。7才で一家惨殺事件の生き残りになった少女リビー・デイが、24年後の31才から生活費に事欠く理由から、事件の真相に迫ってゆくミステリーだ。主人公を含め、幸せな人物は誰一人出てこない。皆、過去から現在まで暗い現実を背負い、日々をやり過ごすだけの人生。それでも死にきれずに、弱さに目をつぶり生きている。現実を直視する事が辛すぎる人々。今の私に重なった。

それでも、私は、殺人事件には関わってはいない。そう自分を少しだけ、慰めることができた。全編に暗く重々しいトーンが流れる、600ページにわたる長編に、私は、救われた。だが、リビーが子供時代の殺人事件を受け入れ、問題解決に動くまでに24年の歳月がかかったのと同じように、私にも現状を受け入れ動き出すまでの時間は必要なのだと感じた。

地下鉄の乗り換えは疲れる

地下鉄の乗り換えは疲れる!、と年明けの外出でつくづくと思っていたら、

toyokeizai.net

 ↑こ~んなサイトを見つけた。なぁ~るほどである。私は、ここにある駅のひとつ、浅草駅、大江戸線蔵前駅を利用していた。以前より、大江戸線は深く下らなくてはならないので、きついなぁ、と感じていた。

やっぱりなぁ、最寄が地下鉄駅しかない場合もある。出来るだけ駅から歩きたくない日もある。地下鉄を悠々と乗り継いでいる人を見ると、一端の都民だぁ~と思うが。

閉塞的で臭いがするという固定観念が未だ否めない私は、できるだけ地下鉄を避けたい。それに、地下から地上に出ると方向感覚が鈍る。(方向音痴気味!!)

 

定期的に、家からエスケープするが、今後は移動経路も考慮して宿を選ぼう、。

 

2017年、年末

今年も、後1週間。この1年まぁ、色々あった。いいこと悪い事。でも、確実に良い方に進んでいると感じる。

以前にも書いた気がするが、年末のこの締め付け感が嫌いだ。25日まではクリスマスムードの売らんかな商戦。それを過ぎると、生鮮食品売り場はお正月食品1色になり、大好きな蒲鉾は、高級品ばかりに。売り場はどこも人でごった返し、何故か殺気だっているように感じるのは、私だけだろうか。12月になると交通事故も増えるから、人々の気持ちは年明けに向けて高揚して行くのだろう。

今年こそは、そのイラつくような波に踊らせたくない。と、毎年思う。戸建てではないので、キッチンの換気扇のベタベタ掃除くらいなのだが、。昨年、体調が悪くスルーしたので、昨日だけでは、やりきれなかった。換気扇フードの3枚(裏表)で、計6枚の1枚だけ残った。2時間以上、肩や腕に力を入れて作業したので、筋肉痛だ。後は、レンジ回り。

年賀状も投函した。お正月料理も、お雑煮だけ少し作り、普段と同じようにつとめるつもりだ。主婦だけが、年末年始忙しいのは納得できない。と、いうことで、やる事はやり、お正月後半は、自分の為に時間を使おうと思う。

普段、家にいない人が、1週間パンパンに在宅したいる事自体がストレス。さらに、家族に奉仕しなければいけないと思い込む。

日常を大切にしよう。がんばり過ぎないので、自分にご褒美をあげよう。

生きている。

いろんな波風があった
けれど今、生きている

難病の息子、生きている
大うつだった私、生きている
不登校の娘、生きている

誰が命を落としていても
不思議ではない状況だった
きっと全て意味のあることだった

あと何年かたち
そう思える日が
来るに違いない

人として生まれることは
砂漠の砂をすくったとき
爪の上にのるくらいの
確率だと聞いたことがある

だから、生きる
余生などとは考えず、
いのち尽きるまで。

 

胃袋事情

ここ数年、1回に食べられる量が減ってきている。

加えて、お酒の量も。お酒は、10年位前の半分以下だ。うつが酷かった頃、夕食作りが嫌で、それにはずみをつける為に夕方4時頃から酎ハイの缶をあおっていた。さらに、食事中も飲むので、日に350mlを3本は空けていた。今の体重より、10キロ以上あり明らかに動く量に対して、飲酒・食事の量が多かった。医師から、コレステロール値を減らし減量するように言われ、やっと食事制限をやる気になった。1年かけて、10キロ減らし現在に至る。

 話しが少しそれてしまったが、先日、旅先で民宿に泊まったのだが、朝夕付きのプランだった。何とか、朝夕完食したのだが、帰宅後、胃腸を壊してしまった。(↓こちらの料理)


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メインは、いのぶたの小鍋でその他手作りこんにゃくのお刺身、鮎の塩焼き、サラダ...宿のプラン写真より多かった、うれしい誤算なのだが...貧乏性ゆえに、残さずいただいてしまった。6時半から、ゆっくり1時間かけてだが、胃の上までいっぱいになっているのが自覚できたほどだ。そして、翌日、8時の朝食も、目一杯。昼は、軽くすませたが、夕食は作った厚揚げ料理が美味しくて、これまた食べ過ぎ。結果、深夜、胃痛と吐き気となってしまった。明らかに食べ過ぎが原因だった。

 思えば、ここ数年、旅行先でいつもお腹を壊している。やはり、日常以上の食事の量が原因と思われる。旅先のストレスとばかり思っていたが、旅に出たら、地元の美味しいモノを!という、旅番組などのスリコミのように許容量以上の食事を知らず知らずにしていたのだ。旅の間は、つい気が大きくなり、財布のヒモはゆるみ食欲も出る。でも、後の胃腸をこわす苦しさを頭におき、これからは、気をつけようと思う。

 

旧友のように

ほんとうに、大切だと思える人と

関わってゆきたい

損得など考えず、その人のために

すっと、手をさしのべたり

時には、長い手紙を書いたり

急に会いたくなって電車に乗り、

小さな花束だけ持って、

ドアをたたいたり...

 

そんな、キセキのような友がいたら

人生おそれるものはない

だから、全力で祈る

君の健闘を健康を。

 

 

「詩とファンタジー」36号と「赤いゾンビ、青いゾンビ」

「詩とファンタジー」36号に、35号で入選した「女になっても」の感想が、読者コーナーのページに掲載されていた。驚きと感動で、書店を出た私は、雑誌を抱きしめて、涙した。ある意味、初めての入選より嬉しかった。

それは、2回目に入選した時の次なる目標だったからだ。(今月の特集が、「猫とポエジー」なのも偶然だろうか)願いは、ある時は岩のように固く叶わず、そしてある時は、豆腐みたいにかなう。最近、生活の中ですごく感じる。

 

図書館で、川上弘美の新刊本「赤いゾンビ、青いゾンビ」を借りた。ネット予約した時に内容を確認したのに、私は、てっきり不思議妖怪系の小説だとばかり思いこんでいたが、「東京日記5」とあり、連続しているエッセイ本だった。川上弘美の作品は、あまり読んだ記憶がないが、数年前買った文庫も完読してない。が、日記なので、パラパラ読みしているが面白い。どうやら、川上氏は武蔵野市近郊に住んでいるらしく、吉祥寺周辺での出来事がたくさん出てくる。最近、吉祥寺に又、縁ができている私にはとても興味深い。文体も短く細切れ時間で読み安い。このところ、忙しく読了できなかったので購入しようと思う。

決め手は、装丁だ。かわいい♪本文中にも、イラストが、チラチラとあり楽しく読めるのだ。(絵*門馬則雄)

山の中で感じたこと。

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 【↑払沢の滝への道にあった可愛い*森のささやき、ひのはらゆうびん館】

都内唯一(本土)の村に泊まり、つくづく私は、緑にあふれた場所が好きなのだと実感した。虫に刺されやすいので、虫よけのスプレーを持参することも考えたが、あえて虫刺されようの塗り薬のみにした。が、それも使うことはなかった。

 聞こえてくるのは、自然の音だけ。沢の流れ、鳥の声、雨の音、セミの音。午後5時半に聞こえる、お寺の鐘の音。夜になると、築100年以上の家は、歩く音がみしみしとする。

今回の旅、ゲストハウス「へんぼり堂」に泊まったのだが、な、なんと私一人で貸切状態だった!!前日が貸切だったので、1日ずらした結果こうなった。なんて、ラッキー!まさに、田舎の実家に帰省したような状態での日々だった。

バスは、最寄のJR駅から、数馬行きは、1時間半に1本のペース。それにあわせて、ゆったりとした1日が過ぎて行った。近くの温泉施設「数馬の湯」で温泉につかり、ランチを食べ、日本の滝・100選にも入る「払沢の滝」へ行き、近くのイタリアンでランチを食べ。地元の手作り豆腐で、夜お酒を飲んで・・・そんな、なんでもない日常のような時間が過ぎていった。飽きるということはなく、山の中であるべきことに身をゆだねた生活はとても心地よかった。

↑の写真、払沢に滝へ続く歩道。道には、木材のチップが敷き詰められていて、雨が降っても滑らないようになっている。下には、沢が流れていてせせらぎも聞こえ、気持ちいいことこの上ない。ふと、足下に動きを感じてみると小さなトカゲ、カナヘビだった。縦にしまが入っていて、きらきらしている。そんな、普段ならひやっ!と声を上げてしまう爬虫類さえ、可愛らしく思えた。そこ、にいるから、自然なのだ。怖くないのだ。

山の気温は、同じ蒸し暑さでも扇風機のみで大丈夫。夜や明け方は寒いくらいで、宿の夜具のカバーリングが冬仕様なのに驚いたが、暑くて眠れないということはなかった。

 毎回、家とは、数回生存確認の連絡を取り合うがのだが、今回は、危うく帰る日まで連絡を忘れる!一歩手前だった。家の存在を忘れるほど、今を楽しむことができた。

また、来よう。ほんとに、一人を感じたいときに。


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