詩集「群れない猫」近日発行!

群れない猫

土屋容子の暮らしと詞花

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宙、ありがとう。またね♪


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↑↑そらちゃん、3年前くらい

 

8月22日(木)13時頃

虹の橋を渡る*16才4ヶ月

(動物病院、治療中)

****

愛猫、宙(そら)、8/5(月)急変の為、朝一番で

E動物病院へ。猛暑、タクシーを使う。

次女も同伴。

血液検査の結果は、良好であった。

白血球の数値が高かった。

レントゲン、CTにて、肺の回り水がたまっていた。これは、末期のガンか、感染症か。

肺の水を抜いたら、濁りがなかった。

病理検査に出すことになった。

帰宅後、病院から電話、わずかに腫瘍の破片が見つかり、ガンの可能性がほぼ確定した。

下痢があったので、お腹のお薬が出た。

好きなものを食べさせてあげて下さい。と、先生に言われた。

翌日からは、あっとう間だった。

幸い、お盆中に一緒に過ごせた。

食事も、ちゅーるとウエットフードなら、少量ずつ食べるよになり、毛づやもよくなったように感じた。

でも、肺の水抜きの後の食欲は1週間と持たなかった。ちゅーるも、11才用を一日に数回に分けて、1本しか食べられない。

お水も、毎回入れかえて口元にもっていかないと、飲まない。

 

よろよろしながらも、ちゃんとトイレを使っていた。ゴツゴツ痩せてしまった背中や、顔のよこをそっと撫でてあげると、ごろんする。

気がすむと、又、ベッド下にいく。

 

娘たちが、そらちゃんの食事、トイレなどのお世話を工夫して、よくやってくれた。

お盆中、少し苦しそうにしていたが、私ひとりでは病院に連れて行く体力もなく、お薬だけもらいに行く。次女も、体調崩していた。

 

8月21日の夕方、そらはエアコンのきいたリビングから、浴室に続く洗面所に移動した。換気扇がつけてある浴室の数センチ開いたドアから、空気を吸っているように...

少しして、洗面所にそらがいない。

落ちた体調で、浴室の床にいた。

シャワーが、大嫌いだった、そらが!!!

私は、娘たちを呼んだ。

もう、娘たちは最後の時が近いのでは、と話している。私も感じた。

 

お腹の濡れてしまった、そらを拭いて、リビングに移動。明日は、予約を入れて、動物病院へ肺の水を抜いてもらおう。

 

その晩。

私は、そらが下に寝ているベッドで、何度も、そらの呼吸を確かめた。

一度だけ、私を見上げてくれた。

翌日、11:30に病院へ予約を入れてタクシーで向かう。新品のペットキャリーに大人しく入る。30分ほど待つ間、そらは瞳を大きくして回りを見回し、その瞳は潤んで見えた。

肺にたまった胸水を抜く、治療。

一回目、血の混じった胸水。

二回目、そらは暴れて痙攣した。

そのまま、手術台へ移動。

少しして、私と次女は呼ばれ、先生は心臓マッサージしていた。酸素マスクを嫌がったという。マッサージを止めれば、心臓は動かない。もう、そらは、その時の準備をしていたんだ。

そして、そのまま、旅立った。

 

先生が、きれいにして下さった。

そらを、そっとそっと、キャリーに戻し。帰宅。

***

帰宅したら、私は、軽いパニックになった。

この暑さ、出来るだけ早く葬儀社を探さねばならない。それと、そらちゃんを冷やす。

猫ブログで得た知識と、次女検索で、そらちゃんを適度な段ボールに、ペットシーツやバスタオルを入れ、保冷剤と氷を密閉パックに入れたもので、お腹や背中を冷やす。

その間、長女が地元のペット個別火葬の業者さんを検索ヒット。

 

兼ねてから私は、自分のその時は散骨を希望している。そらも私と同様にしよう、そう気持ちが定まった。

葬儀社さんに連絡して、訪問する迄の間の数時間。私、長女、次女で、そらちゃんを弔った。

夜、葬儀社さんが来て、簡単にお焼香。

可愛いバスケットへそらちゃんを移し、個別火葬車迄、見送った。

そらちゃんの、粉骨は真っ白だった。

小さなカプセルに、分骨してもらった。

(キーホルダータイプ)

葬儀社の方が、「老衰ですね、。」と、言って下さりとても慰められた。

秋迄、一緒にいたかったから、。

数回の通院は、そらも私たちも痛い酷暑だった。

9月のそらちゃんの月命日近くに、やっと病院へ最初の出した病理検査の結果書類を、取りに行けた。

「ガン性胸膜炎」と、あった。

 

宙(そら)ちゃん、ありがとうね。

うちの仔になってくれて。

また、いつか会おうね。

ほんと、いい猫だったよ、君は!

 

ジジちゃんは、大切に可愛がっているよ。

 

(ФωФ)*(ФωФ)*

猫がいる

猫がいる

家にいる

 

いつもいる

 側にいる

 

17'11

↓↓↓お世話になった、ペット個別火葬社

アメリカンペットメモリアル

 

 

 

 

 

再生

「再生」

 

古傷が痛む

この数ヵ月は

かつての人生の中でも

激動の時期であった

 

私は

小さなシェルターの中で

生きてきた時間をさかのぼり

ひとつひとつの心身の痛みを感じ

再生を繰り返した

 

人の細胞は

数ヵ月で生まれ変わる

母の胎内の中で作り上げられた

生命体は

下界に出た瞬間から

再生と破壊を繰り返し

死へと向かう

 

8月22日

愛猫が16才で逝った

生きるもの

決して穏やかとはいえない

死へと向かう過程を

まざまざと、見せてくれた

その瞬間が

目に焼きつき

リフレインされる

彼らは、純粋に自然の摂理に

正直だ

 

常に死と向き合う彼

今、しかない男

人生の冬にむかい

再生を繰り返す私

 

皆、生かされている

いつか命が尽きる迄

各々の課題をかかえて、。

 

憎まれてもいい

傷ついてもいい

生きた証の爪跡を一筋でも

残したい

 

私は、

生きている

生ききってやる

 

主導権をにぎり流れるように

 

19.9.29

思った事は、現実化する!?


群れない猫 : 変身

 

⇈⇈⇈

添付した、ショート・ショートは「旧・群ない猫」(livedoor)に書いた作品だ。

この頃、ブログつながりから知り合ったエッセイストから、声をかけられ、私も商業誌デビューできるかもと、夢中になって書いていた。まだ、ネットで詩を書き初めて3年くらいの時だ。

 

今、群ようこ著「贅沢貧乏のマリア」を再読した事から、同じく、群ようこ氏の「れんげ荘」を読み。森鴎外の長女、森茉莉の関連本を読んでいる。森茉莉は、中年期以降、食べる為に書いた。弟、類の結婚により実家を出て、80代で亡くなる迄アパートでひとり暮らしをしながら、作品を残した。

 

私は、幼い頃から少し勘が強い子供だった。(母談)不思議な体験もある。

このショート・ショート、この数年の私の現実と、重なる部分が多いのだ。願望も含めて、。

 

今年、還暦を迎え。

この8月末、ほぼグレイヘア完成のごま塩頭のショートボブ。

 

大きな賞とは、縁がないが。

密かに、シニアからの受賞を目指す。物語が書きたい。ひとりでの暮らし。

 

ふと、この作を思い出した。

龍・グレイヘア・アパート。

人は、頭の中で思考した事は、現実可能なもの、。つくづく、これからは、ネガティブ思考は減らしていこうと、思った。

Y への手紙

「Yへの手紙」

 

こんにちは、お元気ですか

もう、貴女への賀状も出さなくなり

数年がたちました

今年も貴女からは来ましたが

貴女のアドレスや電話番号は

機種変更の時に削除しました

 

私は、今これまでの生き方を

振り返り、怒りの感情と向き合ってます

怒りや恨み嫉み、

その様な、負の感情に

若い時から蓋をしてきた付けです

 

私は、今でも私の失恋前後に同時進行で

同じ相手の誘いに応じて

デートを重ね

ついにはその相手のガールフレンドと

なった事が許せません

 

もう、時効のような過去

いや、そんな事など記憶にない事でしょう

 

何故なら、貴女もそいつにふられ

その後、私と会ったとき

「だって、むこうから誘ってきたんだよ」

と、謝りの言葉さえ口にしなかったのですから...

私は、怒りの気持ちを隠し

「お互い、あんな奴にふられて良かったね」

と、愛想笑いしてましたが、

私が貴女の立場なら

友人のボーイフレンドの誘いなど

お断りです

もしや、

私より優位に立ちたかっただけですか?

 

それからの貴女は、私に対して

敬語を使うようになりました

 

結婚、出産、子育て、

子供たちの自立

節目節目で、Kも交えてよく会いました

でも、貴女たちが、家を持ち

私が、鬱病になった頃から

かみ合わなくなってきました

 

転勤族で社宅住まいの私は

きっと、お気楽に見えたでしょう

 

でも、私は、難病の息子の介護、

高齢出産の次女と、長女の子育てで

毎日が必死。

そんな嫁に全く無頓着な夫の為に

縛りつけられている事も気づかず

ひとりで抱えて、精神の破壊が進んでいたのです

 

何故か、貴女たち会った後、

大風邪で、寝込みました

貴女たちの順調な幸せに

当てられたのでしょうね

 

さて、私は、数年前

詩集を自費出版し、

そのお知らせのハガキを送りました

なのに賀状でさえ、全くの反応なし

結婚式にも呼び、呼ばれ親友とさえ

思っていましたが、

冷めました。

売りつけるつもりなどありません

贈呈しても良かったのです

関心くらい示して欲しかった...

 

その後、電話で話した時

貴女の家族の話しに話題がうつった時、

「その事は、話したくありません」

また、敬語で返されました

私の心は完全にシャッターが降りました

もっと、オブラートに包むような

言い方もあったのではないですか?

 

これは、出さない手紙です

本音です

貴女にも、言い分はあるでしょう

 

人は、変わる、変わってゆく

本質は変わらない

 

私の本質は、リーダーではなかった

沈黙が嫌で、

色んな、クラスの役員に手を上げていた、

だけだったのです

 

それがわかって、

健康を取り戻しています

 

只、人の不幸の上に

自分の幸せを築く生活はしていません

 

もう、賀状は卒業しましたが、

来年も、送ってくるのでしょうか?

「今年は、会いたいですね」

それが社交辞令でなければ、

貴女から電話でもメールでも

してくると思っているのですが、

 

まぁ、私にさく時間などないほど

お忙しいのでしょうね

 

知人のYへ

 

 

ラジオ生活のすすめ

長い間TV を時計代わりにしていた。

昭和34年生まれの私は、TVっ子だ。

小学生の頃は、アニメ番組の時間は大体覚えていた。

 

ラジオ生活に移行して、3ヶ月が過ぎた。14年物のCD ラジカセ。そう、今また復活の兆しの"カセットテープ"も聞ける。リモコン付き。

以前の部屋は、受信状況がよくなかったが、私の部屋は、受信良好♪

今は、同じ局がAMとFMで聞ける。

 

朝は文化放送のFM に合わせ、起床と共にON。

8:30頃からTBS のAMにバウンドを変える。で、お昼の12:00頃からは、NHKのAM。

夕方から、再度TBS にし、夜8時以降は好きなCD を聞く。

なんか、独身時代に戻った気分だ。

 

新聞のテレビ欄も目が、下の段のラジオ欄に行くように。

ラジオは、家事をしながらも聞ける。意外と、関心のある内容は情報として頭に入ってくる。

 

ラジオ生活を始めて、創作意欲がわいてきた。詩の言の葉も降りてくる...嬉しい。キャパの少ない私の脳内は、情報過多だったのだ。

 

今の時代、スマホがあれば"ラジコ"で聞けるらしいが、私は、耳にイヤホンは苦手。

古いラジカセ(CDも)が、調度いい。

 

たまに、大画面TV を観る時は静かなNHK を選び、データ放送をON にして画面を小さくしてみている。(ラジオもTV と同じでCM になると音が大きくなる!!)

 

ラジオの利点。

ながら家事が、出来る事。

ラジオと新聞とスマホ

最近、ブログにでかでかと流れてくる、不必要なネットゴシップ記事も、クリックしなくなった。

 

自分に戻る過程

「自分に戻る過程」

 

かつて、自分はリーダー的位置が似合う

積極的で打たれ強い人間である

と、錯覚していた

かなり長い間

 

刷り込みだったのだと気づいた

 

ヤンチャしても許される兄を鏡に

自分は、親を困らせてはいけない

成績優秀を目指す

止められた事は諦める

 

そんな幼少期を過ごした

思春期には、兄は近づくのも怖い

存在になっていた

心配する両親を見ていた

 

私は、女としての完璧をめざす

明るいお嬢様に見える成人になった

 

嫌な部分、ヤンチャな面を

底に隠して

 

いい顔しか出来ない私は

攻撃的な性質持つ人たちの

標的になり続ける

反論が出来ない

内に溜め込んでしまう

 

休日は

倒れこむように眠る

それを母に責められる

 

ついに、下血が止まらず

入院

弱っていた私を

優しく包み込んでくれる、

かに見えた男と、家族になる

 

精神の闇

生命の魔

 

訳もわからず

困難な子育てを続けるうちに

うつ病になった

生命のSOS にも気づかなかった

そうゆう自分に、出来上がっていた

 

さらに20数年

 

時が来た

機能不全家族

だったと気づいた

 

今、

本来の自分に戻る

過程だ

 

 

 

イルカの瞳

「イルカの瞳」

 

イルカは、縦長の水槽にポツンと

いた

へその緒がついていた

 

大きく見えたが、

赤ちゃんだったのかもしれない

 

ベビーカーを押しながら

家族とはぐれた私。

 

静かに泳ぎ

物憂げに見つめてくる イルカ

 

ママだよ

ママ、疲れちゃったよ....

ソコに、居ることの意味さえ

困惑するほど疲弊していた

 

ただ、時間も忘れ

イルカを見ていた

つっと、

熱いものを頬に感じる

イルカの瞳もうるんでいる

 

月齢より大きな、元気な子

高齢で産んだ私の心は

壊れ始めていた

 

 

新しく生きる

「新しく生きる」

 

入院時 紙のように白かった顔は

赤みをおびていた

彼の首もとには、酸素吸入の為の

新しいホールが突き出ている

 

7月27日早朝、緊急入院した彼は

気胸と肺炎も併発。

鼻からの人工呼吸器では、タンがつまりやすく

いつ、呼吸停止してもおかしくない状況だった

 

出かける準備をしてると、私の電話が鳴る

不安をあおる電子音

彼の緊急入院を告げる内容だ。

直ぐに来られますか?

  はい、1時間ほどかかります

 

酷暑を避け、バスと電車で最寄駅に向かう

降りるひとつ前の駅で、又、電話が鳴る

  病院のひとつ手前の駅です

 

病室に着くと、鼻から直接チューブが入り

口にも太いのど奥下までのチューブがそうかんされていた

口いっぱいに押し込まれている

 

手術承諾の書類にサインする

もう私には、見舞うこととこれしかできない

あとは、祈り....

 

5日後、気管切開手術。

予定どうりに1時間半で病室に戻った

こころなしか、口元は腫れてみえる

部分麻酔なので、意識はある

医師が、名前を呼ぶ

「お母さん、来てますよ!」

彼の目は薄く開かれ、眼球が動いている

 

ガタン。

折り畳まれた簡易ベッドが床に倒れ

ふいに、大きな音がした

 

「よく、がんばったね」

彼は目覚め、目でうなずいた

私は満面に笑ったが、帰宅した

辛いのは彼、声帯を切られ声失った

 

数日たち見舞った

彼の顔はむくみがとれ

鼻筋の通った、本来の彼に。

手術前、鼻に呼吸器を入れていた

小鼻がふくらんでいた

今は、親ばかでオトコマエに見える

 

ヘルパーさんたちと

透明の文字盤と口パクで

意志疎通をとる練習を繰り返す、

 

生きるチカラを感じ

病室を離れ

私は、泣いた...

 

2018.8.16

 

 

 

 

 

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