詩集「群れない猫」近日発行!

群れない猫

土屋容子の暮らしと詞花

ブログ内検索⇒詩集「群れない猫」発刊

セルフケア

家から、そう遠くもない
衣食住のそろっている空間で
一人になる

それは、私にとって
とてもとても必要なことなのだと感じる

ずっと長い間、
私の精神は、日常的に傷つけられてきていた
そのことに気づくことなしにきた

他人からは理解されず
なまじ真面目な性格なため、更に
上手くできない原因は自分にあると責めた

ウツの波の繰り返しで 日常生活も困難になる
体調改善のために通院を続けた
そして、やっと、やっと、
少しずつ元の生活に戻れたなと思った時
あるキーワードにたどり着いた

私は悪くなかった
ただ、やり方を間違っていた
そのやり方を学び改善に導くのにはさらに時間が…

今はくらくらするくらい
逃げたくなる

普通とは何か?理想の家族とは?
色んな価値観の変化や、一般認識されてこなかった事実が
明らかになってきた現代
1000人いれば、1000人分の生活の
違いがあってもおかしくない


そう、逃げてもいい
自分を守れるのは自分
セルフケアだ

ほぐしテトラ(MUJI)でむくみスッキリ♪

このGW 中のお隠れ先で、無印の「ほぐしテトラ」なる、マッサージグッズを購入した。3~4月とうつ気味でおこもり状態だったので、大きな荷物を持っての地下鉄乗り換えの長い階段の移動は、腰や股関節を中心に、体の至るところが痛くなってきた。

日頃から、左側の膝下がパンパンに張りやすい。足首、膝裏もグリグリ、。リンパが滞り、老廃物が溜まっているのは気づいていた。そんなわけで、今回は愛用のアロママッサージオイルを持参して、入浴後に自前リヒフレクソロジーをした。

 張りの酷い左の膝下をオイルで念入りにながした。ここで、テトラ登場。ながらで、凝りのひどい鎖骨や首から肩にかけて、普段はあまりやらない箇所を適度にグリグリと押しながした。いやぁ、気持ちいい。

とにかく、この「ほぐしテトラ」片手にすっぽりと納まり、滑りにくく指を引っかけられる構造になっている。力の具合も調節しやすい。腰などは、椅子に座って押しあて、自分の体重をかければ、楽チン。

すると、マッサージをした翌日、まるでサロンで施術した後のように、利尿作用がはんぱなかった。いつも以上にお酒を飲んでもいないのに、おかしいなと思っていた。帰宅して、割りとピッタリめの部屋着に着替えたら、娘に、「ママ、脚、細くなってるー」と言われた。そう言えば、帰りがけ、宿泊先の姿見に映る太ももの張り感が、なくなっているように見えていたのだ。そこで、はたと気づいた。テトラだ、あれでグリグリと片手間に押したことで、リンパが流れ老廃物が排出されていたのだ。

 テトラ、今まで何度も無印さんの化粧品コーナーで目にしてきたが、手にしたこともなかった。お値段、525円(税込)手のひらサイズのかわいいフォルム。もしや、無印商品で一番の商品かも...!?

あっ、くれぐれも力加減にはご注意を。張った太ももに、痣(あざ)を作ってしまいました。

☞部屋着や、タオルなどの上からグリグリすることをおすすめします。

女子会第2ラウンド

女子会の流れでKの母上に会いに行く
Kの結婚式以来約三十年ぶりの再会だ
齢(よわい)八十を超えた母上
アラ還(かん)の二人と母上の夕食は、
女子会第2ラウンドとなった

あたしはね、木登りしておにぎりを食べていたのよ
千葉の田舎に疎開(そかい)していたから、東京大空襲はまぬかれたわ
下町は、渦巻きみたいにグルグルと爆撃されたそうよ
お米がなくて、トウモロコシばかり食べてたわね…

母上は、そう終戦前後の話を何度も語った
とてもにこやかだった
そして、私も合いの手を入れる
「こんちゃん、今夜は泊まってゆくでしょ?」

あっ?このセリフは…

そう、学生時代も母上のすすめで、
何度もKの家で話し込んだことを思い出した
翌朝、母上は元気にデイサービスに出かけていった

「ありがとう、あんなに楽しそうな母を、見たのは久しぶりよ」
と、Kが言った

私は、Kに抱きついて泣いた。
頭の中は、実家の母のことであふれていた。
どうして同じように優しく接する事ができないのだろう
耳の遠くなった母との会話にイライラしてしまうのだろう


会いに行こう、母に
母の話に、ただ、耳を傾けに。

腫れ物の膿が一気に出たような如月

2/24の夜、左足の小指を思い切りオットマンの脚にぶつけて悲鳴を上げた。痛みは、数時間続き、赤紫色に腫れて足の甲までアザができていた。こんなにひどいぶつけ方をしたのは初めてだ。1日何回か冷シップを貼りかえ固定して、安静につとめた。腫れがひいてきたので、2/27買い物へ。いつもように、両手にスーパーの袋とエコバックを持ち、最寄りのバス停で降りようと、1段高い席から降りた時、両膝をついて転んだ。二人のご婦人が、「大丈夫ですか?」と、手をかして下さった。1分くらい放心したがなんとか荷物を拾い、立ち上がり、下車した。そこで、しばらくうずくまっていた。そして、数分後帰宅して、泣いた。情けなかった。帰ったら、打った膝以外の首や腿や腰などの筋肉が痛くなってきた。

 

 1月の大雪のあたりから、メンタルが乱れ、週末は家から出ていることが多くなった。主治医に話すと、私のウツ自体はほとんどよくなっていると言う。数年前から、薄々気づいてはいたが、私のメンタルが乱れる原因は、思っていたのとは違うところにあり、ウツがよくなっても解決する問題ではないことがわかってきた。10年ほど前ウツが酷く、家から逃げていた時期はメンタル系の本を読むこともできなかったが、ここ数年で読めるようになってきた事が、気づきにつながった。

私だけの問題ではなかった、と、わかっても。今まで努力してきた事は、ほとんどが真逆で、ゼロから仕切り直さなければならない事が、受け入れられないでいる。

 

関連性のある本を、何冊か読んでいる。今までの自分の辛い年月がまるで、そのまま書かれているので、追体験しているようで涙が流れる。合間に、ギリアン・フリンの「冥闇(めいあん)」を読んだ。7才で一家惨殺事件の生き残りになった少女リビー・デイが、24年後の31才から生活費に事欠く理由から、事件の真相に迫ってゆくミステリーだ。主人公を含め、幸せな人物は誰一人出てこない。皆、過去から現在まで暗い現実を背負い、日々をやり過ごすだけの人生。それでも死にきれずに、弱さに目をつぶり生きている。現実を直視する事が辛すぎる人々。今の私に重なった。

それでも、私は、殺人事件には関わってはいない。そう自分を少しだけ、慰めることができた。全編に暗く重々しいトーンが流れる、600ページにわたる長編に、私は、救われた。だが、リビーが子供時代の殺人事件を受け入れ、問題解決に動くまでに24年の歳月がかかったのと同じように、私にも現状を受け入れ動き出すまでの時間は必要なのだと感じた。

地下鉄の乗り換えは疲れる

地下鉄の乗り換えは疲れる!、と年明けの外出でつくづくと思っていたら、

toyokeizai.net

 ↑こ~んなサイトを見つけた。なぁ~るほどである。私は、ここにある駅のひとつ、浅草駅、大江戸線蔵前駅を利用していた。以前より、大江戸線は深く下らなくてはならないので、きついなぁ、と感じていた。

やっぱりなぁ、最寄が地下鉄駅しかない場合もある。出来るだけ駅から歩きたくない日もある。地下鉄を悠々と乗り継いでいる人を見ると、一端の都民だぁ~と思うが。

閉塞的で臭いがするという固定観念が未だ否めない私は、できるだけ地下鉄を避けたい。それに、地下から地上に出ると方向感覚が鈍る。(方向音痴気味!!)

 

定期的に、家からエスケープするが、今後は移動経路も考慮して宿を選ぼう、。

 

2017年、年末

今年も、後1週間。この1年まぁ、色々あった。いいこと悪い事。でも、確実に良い方に進んでいると感じる。

以前にも書いた気がするが、年末のこの締め付け感が嫌いだ。25日まではクリスマスムードの売らんかな商戦。それを過ぎると、生鮮食品売り場はお正月食品1色になり、大好きな蒲鉾は、高級品ばかりに。売り場はどこも人でごった返し、何故か殺気だっているように感じるのは、私だけだろうか。12月になると交通事故も増えるから、人々の気持ちは年明けに向けて高揚して行くのだろう。

今年こそは、そのイラつくような波に踊らせたくない。と、毎年思う。戸建てではないので、キッチンの換気扇のベタベタ掃除くらいなのだが、。昨年、体調が悪くスルーしたので、昨日だけでは、やりきれなかった。換気扇フードの3枚(裏表)で、計6枚の1枚だけ残った。2時間以上、肩や腕に力を入れて作業したので、筋肉痛だ。後は、レンジ回り。

年賀状も投函した。お正月料理も、お雑煮だけ少し作り、普段と同じようにつとめるつもりだ。主婦だけが、年末年始忙しいのは納得できない。と、いうことで、やる事はやり、お正月後半は、自分の為に時間を使おうと思う。

普段、家にいない人が、1週間パンパンに在宅したいる事自体がストレス。さらに、家族に奉仕しなければいけないと思い込む。

日常を大切にしよう。がんばり過ぎないので、自分にご褒美をあげよう。

生きている。

いろんな波風があった
けれど今、生きている

難病の息子、生きている
大うつだった私、生きている
不登校の娘、生きている

誰が命を落としていても
不思議ではない状況だった
きっと全て意味のあることだった

あと何年かたち
そう思える日が
来るに違いない

人として生まれることは
砂漠の砂をすくったとき
爪の上にのるくらいの
確率だと聞いたことがある

だから、生きる
余生などとは考えず、
いのち尽きるまで。

 

胃袋事情

ここ数年、1回に食べられる量が減ってきている。

加えて、お酒の量も。お酒は、10年位前の半分以下だ。うつが酷かった頃、夕食作りが嫌で、それにはずみをつける為に夕方4時頃から酎ハイの缶をあおっていた。さらに、食事中も飲むので、日に350mlを3本は空けていた。今の体重より、10キロ以上あり明らかに動く量に対して、飲酒・食事の量が多かった。医師から、コレステロール値を減らし減量するように言われ、やっと食事制限をやる気になった。1年かけて、10キロ減らし現在に至る。

 話しが少しそれてしまったが、先日、旅先で民宿に泊まったのだが、朝夕付きのプランだった。何とか、朝夕完食したのだが、帰宅後、胃腸を壊してしまった。(↓こちらの料理)


f:id:rei-tsuchiya:20171115125204j:image

メインは、いのぶたの小鍋でその他手作りこんにゃくのお刺身、鮎の塩焼き、サラダ...宿のプラン写真より多かった、うれしい誤算なのだが...貧乏性ゆえに、残さずいただいてしまった。6時半から、ゆっくり1時間かけてだが、胃の上までいっぱいになっているのが自覚できたほどだ。そして、翌日、8時の朝食も、目一杯。昼は、軽くすませたが、夕食は作った厚揚げ料理が美味しくて、これまた食べ過ぎ。結果、深夜、胃痛と吐き気となってしまった。明らかに食べ過ぎが原因だった。

 思えば、ここ数年、旅行先でいつもお腹を壊している。やはり、日常以上の食事の量が原因と思われる。旅先のストレスとばかり思っていたが、旅に出たら、地元の美味しいモノを!という、旅番組などのスリコミのように許容量以上の食事を知らず知らずにしていたのだ。旅の間は、つい気が大きくなり、財布のヒモはゆるみ食欲も出る。でも、後の胃腸をこわす苦しさを頭におき、これからは、気をつけようと思う。

 

にほんブログ村 ライフスタイルブログ おひとりさまへ
にほんブログ村 ポエムブログへ
にほんブログ村 ブログ「群れない猫」の詩、その他の文章の著作権は土屋容子に帰属します